井伏鱒二『遙拝隊長・本日休診』

このブログをわざわざ読みに来てくれるような人はみんな知っているだろうけれど、井伏は人間の悲哀を書くのがうまい。山椒魚の悲哀を書くのもうまい。そして井伏の悲哀は、どうにも対象の愚かさとともにある。致し方なく愚かな人間が多く登場する。

 

『遙拝隊長』

マレーの部隊で、訓示と遙拝が大好きな小隊長は、ふとした事故から左足を骨折し頭部を負傷してしまう。意識は戻ったものの、故郷へ復員してから徐々に常軌を逸し、田畑や道をうろうろしては人を捕まえては訓示を与えたり、部隊長のごとく振舞う。そして周囲の困惑した視線の中で、敗戦後完全なる狂人になってしまう。

終戦をきちんと迎えられなかった軍人を、大岡は『野火』で周囲から隔絶された精神病院に放り込んだが(田村は生と人間を拒絶していた以上いたしかたない処置である)、「遙拝隊長」の周囲の村人は、彼をそっとあるがままにしておく。聖愚(狐憑き)ということにしてしまうのだ。なかには戦前そのままの遙拝隊長の振る舞いに、激しい憤りを示すものもいる。それでも村人も老母も、彼を狂人としてそのまま受け入れようとする。

あれほどまでに他者を虐げ愚劣と卑劣の限りを尽くした軍人たちも、民間人とはことなる在りかたで傷ついているのだ。井伏の文学はその取り残された人々を愚かさを、優しく滑稽味で包みこんでくれる。

(とまで書いたものの、この小説を読む人間が誰かと言ったらどう考えても遙拝隊長本人ではなく、戦後苦労させらえれた遙拝隊長の周囲の人間なのだ。その周囲の、特に老母のどうしようもない感じを読みとるほうがたぶん正しい。)

 

『本日休診』

 庶民は必死だ。あちらこちらで毎日のごと、事件が起きる。そして産気はだれにも止められない。だから休診の札を出そうが、蒲田の人々は老産婦人科医を頼ってやってきてしまう。

庶民というのは大体困窮している。そして困窮ゆえに、愚かにふるまってしまう。好きでもない男のために入れ墨を入れてしまう。僅かな金のために賭場を開き、生活環境を悪化させる。恥じらいのために診察と治療を拒む。八春先生は東奔西走しながらもそんな困った患者たちを責めない。医師というのは患者に情を寄せすぎてはやっていけない。適度な距離を保ちつつ、全員が生きようとしている時代にはその生命力をちょっと助けてやるだけでいいのだ。それで誰もが救われるわけではないにせよ。